生活改善のアイデアについて
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このあたりの事情について、もう世の中、インターネット全盛なのですから、そろそろこのことに気がついて、一方的に情報を垂れ流しにするテレビを卒業しないと、生き方そのものが受身になるか無責任になる恐れがあるのです。つまり、自分の考えを表明して、自分の言動に責任が持つ生き方ではなく、単なる傍観者になってしまって感情の起伏にもろに依拠するというかコントロールできない人間像が出来上がってしまうのです。だって、卑近な例ですが、国会中継を見ていても、新聞を読んでも、直接自分の給料がすぐに上がるわけでもないことが連日これでもかと報道されると、自分の支持する政党がなくて、政治そのものに興味を失って、結局は棄権する人が続出するのではないでしょうか?洗脳みたいなものです。こうなると、低い投票率でも固い地盤を持っている○△党と×◎党が過半数を制するのは、火を見るより明らかです。つまり、テレビや新聞を無批判に没主体的に見ている人が多ければ多いほど結果としてマスコミによる情報操作に一般民衆が乗る形になって、衆愚政治に堕してしまうわけです。そうならないことを祈るばかりです。
しかし、インターネットのブログやツイッター投稿の場合は違います。基本的に双方向の通信ですから、何らかの反応があるのです。たとえば、アクセス解析ではっきりとどこの市域からどういう機種でアクセスがあったのかが記録されますから、著作者にとっては、これが励みになるのです。中でも、私はプロバイダーの「ぷらら」に加入していますが、そこの運営する「ブローチ」というブログサイトにアカウントを持っていて、毎日欠かさずに投稿を続けていますが、このアクセス回数が毎日、最低でも100は越えています。そういった手ごたえがあるので、いくらでも投稿する意欲が沸いてくるのです。自分の努力次第でどうにでもなるのです。
つまり、もう、残された人生の生き方に180度の違いが生じるのです。これはどういうことかといいますと、、テレビ観戦やサスペンスドラマやクイズ番組などを固唾を飲んで見るような受身的な体験と、インターネットでのブログ発信とは、主体性や双方向性において決定的に質的に差があるということです。つまり、これはもう生き方の問題です。
テレビは、国民の最大の娯楽であり、気晴らしであり、ささやかな庶民の楽しみではありますが、病弱で残り少ない人生を日々大切に過ごさねばならない自分にとっては、生きがいを感じるのはインターネットでの発信しか選択の余地がないのであります。テレビのように情報コントロールされかねない媒体に毎日、無意識に浸るのは、人生でいえば60歳までで卒業しておかないといけません。
テレビを適当に見るのはいいけれど、真剣に見るものではありません。インターネットの双方向通信や直接体験にまじめに真剣に取り組んだほうがいいのです。
まちがっても、たとえばテレビでのプロ野球観戦やサッカーの試合観戦、競馬中継観戦にありがちな「勝って大喜びの大もうけ、負けて大荒れの貧乏くじ」・・・というような、出口の無い精神構造のうっぷんを溜めたままでは、はた迷惑千万な人生の終末を迎えることになるので、それだけは避けたいものだと痛感いたしている次第であります。そうならないためには、テレビ観戦ではなくて、最低でも、野球場やサッカー球場、競馬場へ直接出向いて、観客と一体感を持ったほうが勝敗に関わらずその時間が、主体的に生きた証になるので、より良いと考えます。
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