何が大事だといって、キーボードぐらい大事なものはない。というのは、マウスと共に2大入力装置であるからだ。このような大事なアイテムにお金を賭けないとPCは上達しないのではないかと思われます。また、入力のスピードも上がらないのでないかと思います。
最近、なぜか入力でひどく躓くことが多くて、いよいよ老化現象が加速してきたな・・・と心配していたのですが、実はそういうわけでもなくて、キーボードが駄目だったのです。だから、一念奮発して上等の富士通のキーボードに替えました。すると、不思議なことに入力スピードが速くなってきたしミスがかなり減ったのです。逆に言えば、今まで入力速度が遅く、ミスが多かったのです。
実は、キーボードはそのほかにも明らかに利点ががありました。ガチャガチャという音が殆ど聞こえないのです。特に夜間に入力する時は、その音がやかましく、当然、安眠を妨げるので致命的です。
こういった観点から、私は、「たかがキーボード、されどキーボード」ということを肝に銘じています。つまり、キーボードを安物で済まそうとするのは、百害あって一理なしで、いかに貧しい発想かということです。「弘法は筆を選ばず」・・・なんて諺がありますが、これはPCのキーボーヂには全く当てはまらず、PCの入力環境が劣悪であれば打ち込む内容にしても、ミスを恐れて微妙に言葉を変えたり省略したりして障碍があります。
例えば、「私」ということばは、watakushiですが、打ち間違うので「僕」なんて言い方になってしまいます。これでは、内容まで軽くなってしまいます。書く内容が軽くてもいい場合は、僕でいいのすが、改まったり重くなければならない場合は、「わたくし」なのですからこのあたりを言い換えるということは、非常に文章表現上、困ることです。
以上述べたことは、書く内容にも良くない影響があるということですが、もっと云えば入力する人の人格にも影響を与えるのです。そんな大げさな!と怒られるかもしれませんが、これだけは真実なのです。ガチャガチャという音を立てながら仕事をしていると、そばでいつもその入力音を聞いている人はどう思うかということです。多分、良い印象は持たないでしょう。ほんの時たま、そういう音を聞くだけならば、「この人は、いろいろとても忙しいので、大きい音を立てて急いで入力してるんだな。」という好意的な聞き方をしてくれますが、常時けたたましい音を立てていると、「何だ、あの人は。少しはもっと優しく軽快に打てないものか?乱暴でがさつ過ぎる・・・。」という疑いの念を、好むと好まざるに関わらず持たれてしまうことにつながります。これは、明らかに損です。また、それが損だと本人が感じるか否かに関わらず、その人は、誰も何も言わなくても、結局、客観的に、実際本当にセンスが悪くがさつな人だという態度が板についてしまいますので、もう始末に負えない状況になります。
まあ、こうなる前に、あまり入力音が聞こえないキーボードに交換すれば、それで、その人の評価はずいぶん改善されるものです。