生活改善のアイデアについて
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私たちは、年取っていくに従って、日々いろいろなものを無くしていきます。お金や友人や親兄弟、財産・・・・。でも、最終的に自分の命を無くしたらおしまいです。命だけは、何ものにも変えがたいものですから、大事にしなければなりません。よって、このこと=安全にいくらお金をかけてもかけすぎるということはありません。「小さな死」というのは、お金を無くした・・・とか、そういった類のものですが、これは若干程度は取り返しができます。倹約ができますから、無くすのはしかたがないのですが、目減りの仕方をマシにはできます。でも、自分の命を無くしたらもう、元も子もない一大事です。最期のときになって、初めて大きな死を迎えるのですが、それまでにお金をたんまり儲けて、「小さな死」を経験しなかった欲張りな人ほど、つまり人の不幸を我がこととして感じて東北大震災の被災者や世界の紛争地域の難民等に対して身を削って寄付行為やボランティア活動を一切してこなかった人は(そんな極端な不道徳というかケチンボな人は、ほとんどいないでしょうが・・・・)、死が近づいてくるに正比例して恐れおののき、全く不幸な救いようのない地獄の死を迎えるのです。日ごろから、他人の不幸や苦しみに対して全く想像力を働かせる訓練をしていない・・・拒否しているので、いざ、自分が弱ってくると、もうどうしようもなくなるのです。
ですから、死ぬまでに、できるだけたくさんのお金を無くして(寄付して)、自分よりも3回り(36歳)以上も年取った先輩を亡くして、親族を亡くして、財産を無くして無一文になって裸で死を迎えるのが、一番天国に近づく幸せな良い方法です。(そんなことができればいいですが・・・。すなわち、先のものがあとになるような不幸な目にあうのではなくて、年取った順番に死んでいき、一番あとに自分が100歳ぐらいで天寿を全うして死んでいくことが本当の幸せなのです。)
過ぎたる1週間で多くの財産を失ったこと(寄付行為を含めて)、本当に神様の恵みとして受け入れて感謝いたします。