生活改善のアイデアについて
大阪の某市長などの大物政治家やアユなんかの超有名人のツイッターやブログだっ たら多くの人が見るでしょう。でも、一般人のブログなんて、よほど話題が面白くなければまず誰も読まないのではないか?だから、多くの人々にとって、何の ためにブログを書くのかというと、少なくとも自分自身が読み返したり家族が読んでくれるという自己満足とともに、アクセスカウンターの数字を日々確認し て、ああ今日も定期的な読者が読んでくれているな・・・と喜んでいるのではないかと思うのであります。そういうことで、私もご多分に漏れず、日々がんばっ てブログ投稿しているような訳であります。
下記の写真は、大阪の橋下市長が区長公募の先陣を切って現役各区長に指示してツイッターを出させたとの朝日新聞の今夕刊の記事です。「区長なんて顔を売ってなんぼのもんや」というわけです。なるほど、大阪市の区長みたいな超偉い立場の人でも、今までツイッターすら投稿していなかったような時代遅れの体質だったのか? 私は、正直言って驚きました。大阪市って今まで本当に旧態依然とした昭和時代の時代遅れののどかな時代の公務員天国だったんだな・・・やっぱりこれでは時代に取り残される、大阪市の行政改革を橋下市長さんのもとで始めてほしい・・・という大多数の大阪市民の民意に揺り動かされて、いよいよ、平成24年に時計の針を進めて、こういう情報通信を活用した戦術に出てきたのだなと思いました。
私はというと、そんな偉い立場の公務員ではなくて、しがない年金生活者ですが、何とか1人でも多くの他人様に読んで戴く為には、ブログの題名や趣旨に 沿ったそれ相応の下調べや研究や情報収集、そしてよく考えた卓越した文章技術などが不可欠なのです。そうでないと、読者はあまりにも平凡な日常生活の食事 や買い物や物見遊山の記事ばかりでは飽き飽きしてしまい、何か刺激を求めてきますから、テレビ番組よりも一味違った個性的な面白い面が無いと、一般人のブ ログなんか、見向きもしなくなっていくでしょう。
でも、だからといって、私は別にブログ記事投稿のために多額のお金がかかるような頻繁な日本各地の旅行や、豪華な世界旅行(ヨーロッパ・アメリカ・ 韓国・台湾・グアム)などが不可欠だとは考えておりません。そういった情報こそ、インターネットで検索すれば、ヨーロッパ一周〇△万円で一流ホテルは◇で観光のスポットは◎なんて記事は腐るほど出てきますし、テレビ番組で海外情報はこれまた耳タコ式でクイズ番組で面白いほど連日見られますから、そんなプロフェッショナルな番組作品と勝負したら簡単に負けてしまいます。アクセスカウンターの日ごろの増減から判断すると、ブログを読んで一番興味を惹かれるのは、案外、今年2012年からの人生はどうあるべきか?という新春事始の地味で真面目な記事であるように思うのです。実はブログ記事の値打ちは、グルメやファッション、ダイエットや健康問題、放射能・地震情報、消費税問 題、株式FX世界金融情勢、テーマパーク、世界旅行そのものの情報量ではないのです。つまり、自分自身の生身の生活と切り離 して、客観的にいくら詳しくブログにて解説して書いたところで、百科事典のウィキペディアの追加・参照資料ぐらいの意味はあるのかも知れませんが、ブログ本来の意味は全くありません。目的が違うのです。
私のブログ記事内容の編集方針
?この不景気な日本の社会情勢でも勝ち組になれるような将来に対する堅実な人生設計
?人生そのものへの不安に打ち勝つ深い考察
?どうすれば安定 した生活が精神的にも肉体的にも満たされるのかという回答
・・・いずれも随分おおげさな問題ですが、誰しもどこかで考えているこういったテーマは、今の不安定な世相では、やはりブログの主題としては、最も普遍的なテーマになりうるのです。
「すき焼き」は、私の家族では1ヶ月に1回ぐらいしか食べません。牛肉は贅沢で栄養過多なものだから、日ごろは鶏肉か豚肉か魚介 類の献立で食事をしています。普段の食事は粗食に近いです。最近のお昼のワイドショーで昔の1980年代の中曽根総理大臣の時代の経団連の土光会長の活躍の映像が流れていました。土光氏が臨時行政改革推進審議会の会長を務めていた時、毎日の食事が「小魚のメザシ」と「自宅菜園のキャベツの一番外側の葉っぱ」と「豆腐」のだけの味噌汁という極端に質素なものでした。こういう食事って、政府と一緒になって財政健全化政策を進めるときに、自らの身を切る覚悟を象徴しているようで、当時の国民に強く訴える力がありました。当時は、JRの民営化という大改革を断行しようとしていましたから、そういう国家財政の身の切り方をして、政府の消費税導入をやっと断念させたのです。
話が横道に逸れましたが、一体何が言いたいのかと言うと、当時も今も重大な財政危機の局面を迎えており、政府は消費増税をして国難を乗り切ろうとしているのは同じ状況なのですが、まず、行政の無駄を徹底的に洗い出すことを優先すべきだと思うのです。具体には懸案になっている国家公務員の給与8%引き下げ等の行政改革を早急に実施してから、もう手段が無いというぎりぎりの状勢になってから、消費税を10%に上げても遅くないのでは・・と私は考えています。このように、たかが「晩御飯のすき焼き」の話題を書きましたが、そこから始まって、土光会長の質素な禁欲主義の生き
方が思い起こされ、ひいては日本経済の建て直しの問題にも発展していったような話題の展開の仕方が、いまこそ再び強力な世直しの世論を形成していくんじゃないだろうか・・と考えている今日この頃であります。
例としては、今年、年賀状の返事が無い人が2人いたので腹を立てていた自分について、腹を立てるのは良くないし誤った認識だったと思い返して一定の反省をしたことを挙げたいと思います。理由は、この例が、ドイツ語の「Meinung=思い込み」というヘーゲル哲学における初歩的な誤りの概念と酷似しており、返事を返さなかった他人のせいではなくて、そもそも心の籠もらない年賀状のコンピュータ処理そのものが間違っているという結論に至ったからなのであります。
結論から言いますと、その2人は実際には単に年賀状のPC操作上の点検ミスだった可能性があるからなのです。なぜなら、一般的に、働き過ぎの労働環境に置かれている大多数の日本人は(そうでない人もいますが・・・)、ささやかな慰み=毎日の晩酌やタバコ、パチンコ、休日のゴルフ(打ちっぱなし)などでストレス解消をしているつもりでも、やはり1年間に積もり積もったストレスの量は並みや大抵ではありません。それで、せめて正月ぐらいはゆっくりとくつろごうとし て、元旦は新年の挨拶回りをしても二日、三日は大抵はゆっくりとコタツで寝正月を決め込んでいます。あるいは、12/29〜元旦にかけて家族水いらずの夢 の海外旅行中の人もいます。で、酒が入って朦朧とした寝ぼけ眼で膨大な量の年賀状の整理点検なんて作業を始める訳ですが、ウトウトしてしまって、どうやら 私の年賀状は点検漏れになってしまった可能性が考えられるのです。
但し、こういったことはあくまでも可能性の問題ですから、事実であったかどうかは不問にするということをお断りしておきます。長々しい前置きはここで止めて、ここからが本題です。
そもそも、年賀状をコンピュータ処理することが大多数の日本人の習慣になってから久しいですが、上記のようにコンピュータ処理ではなくて、もし墨を摺って毛 筆で賀状を書いていた世の中、つまり1980年ごろだったら、チェック漏れなんて殆どなかったように思います。大体、ほろ酔い加減では字は乱れるので絶対に書 けません。シラフの状態でないと書けないからで、第一先方さんに対して失礼です。また、住所録だって手書きですから何回もチェックします。従って、年賀状について言え ば、コンピュータでの心の籠もらない冷たい事務処理が昔はできなかった分、半面、温かい心がこもっていた古き良き時代であったのです。当然その分、チェック漏れなどは、皆無とは言いませんが非常に少 なかったのではないでしょうか?
情報化社会のコンピュータの弊害は、虚礼の代表と言える「心の籠もらない年賀状処理」だけではありません。昔のように、手書きに戻るべきです。
さて、目を世界情勢に移せば、やれ「ヨーロッパの債務危機は1929年に匹敵する世界大 恐慌の前触れだ」とか、日本全体に目を移せば「消費税が10%に引き上げられないと日本は膨大な借金財政で破綻する」とか、「M9.0規模の大地震が南海 沖に起こる可能性が高い」とか・・・もっと具体的に言うならば、分刻みに世界各国の国債の相場が時々刻々とインターネットの検索画面で表示され、FXの取 引を少なからずしている私なんかは、大損をしないかとヒヤヒヤして連日、PC前に釘付けになっています。心臓の鼓動が高鳴っています。これでは、健康状態 が悪くなってしまいそうです。また、新聞・テレビなどでは嫌が上にも、「これでもか」というほど徹底的に国民に不安を煽るニュースに事欠かないストレス社 会になっているのです。
これはネット依存症候群であり、コンピュータによるストレスですので、以下対処法として次のように考えます。
? 「人の振り見て吾が振り直せ」という諺があるとおり、自分は、PC操作をするのは誤操作を防ぐために、もう疲れている11時以降だとか酒の入っている状態では絶対にしない。
? FXは刻々と相場が上がったり下がったりするので、一喜一憂するのは馬鹿げたことだと悟り、1週間に1回程度見ることに決めておく。
? 新聞やテレビのニュースは、例えば朝日、読売、毎日、など複数を見るようにして、偏った情報操作に惑わされないように気をつける。
? 地震情報や放射能情報や気象情報(特に地球温暖化)などは、国の基準や考え方自体がころころと変化している現状から見ると、これも一喜一憂した り風評に惑わされないように、日本国内や外国の情報もいろいろと取捨選択して、それが自分の健康安全にどの程度影響するのか、冷静にシビアに判断する必要 がある。いちいちビクビクドキドキしていたのでは神経が持ちません。