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順一郎の異色ブログ作法

生活改善のアイデアについて

2012/01/29

ジョブズ氏のフィギュア

最近のYahooのニュースによれば、iphone4sのプレゼンをしているジョブズ氏のフィギュアが爆発的な人気を呼び起こし、これを製造販売した中国のある製造会社は販売差し止めになったそうです。アップルの信者?は、ジョブズ氏のフィギュアが偶像崇拝の対象であり神様なのでしょうが、それほど熱烈なファンでなくても、iphone4sを身に着けていること自体が、何か素晴らしいウキウキするようなお守りを持っているような 感覚になるものなのでしょう。

ちょうどこれは、音楽家やクラシック音楽ファンが、かの有名なBeethovenの肖像画(ヨーゼフ・シュティーラー1819年制作)を自分の部屋に飾っているのと同じような感覚でしょう。ベートーベンのこの肖像が描かれた時期には、「ミサ・ソレムニス」の作曲に日夜没頭していました。虚空の一点を見つめている不屈の精神を表した表情・・・壮大な音楽の宇宙空間の創造を行っているこの肖像画は、私のようなBeethoven崇拝者にとっては、まさにお守りみたいな大切なものなのであります。

ここで、標題について、少しく大げさな話になりますが、哲学的ないしは宗教的な観点に広げて述べてみます。

マルティン・ルターが1517年にローマ法王に対して宗教改革を起こしたことに端を発したキリスト教のプロテスタントの宗派のうち、カルバンというスイスの宗教家の宗派は、特にアメリカ合衆国、オランダ、イギリス国民などに強い影響を与えました。この教義は、「神から与えられた職」=「天職」を全うすれば、生きながらにして既に永遠の命を得て天国に行けるのだという信仰があります。つまり、神によって救われる人間は予め予定されており(予定説)、禁欲して労働に励み社会貢献して充実感を持てば、そこではじめて救われているという確信に到るのだという信仰なのです。従って、難行苦行や加持祈祷や教会への寄進、免罪符を購入することなどによって救われるのではないという教義です。

この考え方は、19世紀〜20世紀のドイツの社会学者M・ ヴェーバーの 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という有名な著作によってさらに補強され、キリスト教が近代資本主義の発展に寄与してきたことの説明が経済学的に裏付けられました。これは、西洋やアメリカの合理主義の最たる考え方であったのですが、だんだんと時代が変わるうちに、信仰が薄れてしまって金儲け自体が自己目的化して、しかもグローバル化して発展してきているということが現在では通説になっているのであります。

とはいえ、アメリカ合衆国のキリスト教の歴史と伝統には根強いものがあるようです。誰でも、仕事に打ち込んで良い成績をあげて会社の収益を上げて成功すれば、神様に褒められて必ず救われる。そして死後も天国に行って永遠の命をいただける・・・こういう価値観を確固として信じて疑わないのが古き良き保守的なアメリカ人の考え方なのです。現在、大統領選挙の予備選挙で、共和党のロムニー氏と他の陣営が激しい舌戦を繰り広げており、なぜか表面的には決して宗派の違いからは報道されませんが、やはり、このあたりのプロテスタントの伝統的な宗教観に照らしてどの候補者が大統領にふさわしいのかどうかが米国民に問われていることはほぼ間違いがないと、私は日本人ですが、一般的なアメリカ人の風俗習慣や常識に立って考えてしまいます。

そもそも、私の生い立ちから種明かしをすると、物心ついた時から父母に連れられてアメリカ人の宣教師が主催するプロテスタント系の教会の日曜礼拝の分級に、否が応でも連れていかれて、こういった教えを叩き込まれましたので、理屈抜きに「そうなんだ!」と思うようにいつしか精神構造が骨の髄まで染み付いているようなわけであります。自分にしてみれば、着たくもない異国の服装を無理やりに着せられてきたので、いつしかそれが真実なんだと思うようになったのです。まあ、それが私にとっては生きることと死ぬことの意味であり答えなのです。それ以外には、あり得ないわけです。60歳までそういう服を着ていて、今更、別の服装をしなさいと言われても・・・もう年齢から考えて無理でしょう。

思えば、60歳まで、こういった幼き日々からの生き方を持ち続けてきましたので、仕事一筋で土日祭日を問わず、朝早くから晩遅くまで職場で一心不乱に仕事に励んできました。まさに猛烈社員です。いいかげんなことや、できる範囲で・・・とか、前例通り、去年どおりやっておけばいいのだ・・・とかいう考え方では決して神様によって救われないという考え方でずっと仕事を続けてきました。でも、これは職場のABCDなどの人事評価とは、必ずしも一致しませんでした。だって、世俗的な成果主義でもって地位や名誉のために猛烈に会社のために働けば、行き着く先は体を壊すか過労死するのじゃありませんか?疲れたり病気したり悩んだ時は、当然会社を休みましたので、当然、昇給や昇進もある程度は達成できましたが、60歳の定年退職までに遂に店長にはなれず、副店長どまりでしたが、今はそれで良かったと思っています。

そういうわけで、また、標題にもどって述べます。

iphone4s などの情報機器の開発によって天職を全うしたジョブズ氏の偉業を称えて、あるいはあやかってフィギュアを所有したり、またはiphone4sを身に着けて「仕事に活用し、社会貢献できたりできる」ということであるならば、すなわちアップル信者にとっては、神様と共に至福の時を過ごすことに他ならない・・・という公式が成り立つのです。すなわち、永遠の命を得るということなのです。

・・・「そんな誇大妄想狂的な論はないよ。」とか、「大げさで独断と偏見に満ちている。」とか「アップルの回し者か?」と言われそうですが、むしろ私は反対に、常日頃からドコモやauのAndroidスマホの方が規制も少なくて自由度が高いのでお買い得だと思っていたのです。ところが、最近のドコモは通信設備にお金をかけないで、昨年末なんか無闇矢鱈にテレビの宣伝をやり過ぎて、売りまくったお陰で販売台数は日本一になったのですが5度も通信障害を起こして、ユーザーに多大の迷惑をかけたのです。それで、政府から行政指導を受けたとのニュースが流れました。やはり、日本は世界有数の高度に発達した資本主義国家ですが、天下のNTTともあろう大企業が、ユーザーを省みないで目先の利益に目がくらんで金儲け主義に走ると、こういった大失策に陥ってしまうのです。したがって、第一にユーザーの利益を考えて国民生活に支障を来たさないように、もう少しは社会貢献についても考えてほしいものだと思います。

21世紀の現在でも、やはり時代を超えてM・ヴェーバーの 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という社会学・経済学の学説は、超古典的なのですが、不思議にジョブズ氏の作ったアップル社の企業精神として生き続けているのではないでしょうか?ジョブズ氏は、例えばアップルマーケットでアプリ開発の審査を非常に厳しくしてサーバーに負担をかけるようなアプリは認めない方針だったそうです。また、NTTが、お財布携帯とかの日本独自仕様をiphoneに搭載するように持ちかけても一切断ったそうです。Youtubeの動画アプリのアドビ製のフラッシュプレーヤーもiosへの導入を頑として断ったそうです。こういった、一貫したユーザー重視の精神で通信障害を起こさず快適な操作の名機=iphone4sやipadを生産することによって、世界中の人々に喜びを与えたい・・・つまり社会貢献を果たしたいという情熱と技術力があったからこそ・・・またそうとでも考えないことには、これほどiphone4sが日本のみならず世界中で売り上げを伸ばしている現象は、到底説明がつかないのではないでしょうか?

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